12月5日 心配しなくてよいのです マタイの福音書6章25~34節 牧師 小泉 崇
当時の弟子たちと同じように、私たちの日常生活にも心配材料は溢れているものです。しかし主は、「心配しなくてよいのです」とお語り下さいました。
第一に、神が守り支えて下さるからです。
最も大切ないのちを与え、守って下さるので心配しなくてよいのです。さらに主は「空の鳥を見なさい」(26)、また「野の花がどうして育つのか、よく考えなさい」(28)と言われます。天の父が空の鳥たちを養われ、美しく装って下さるのですから、神の子とされた私たちに良くして下さらないはずはないのです。
第二に、神が必要を満たして下さるからです。
神の子とされた私たちが、第一にすべきものを第一に、即ち神を第一とした生活を送っていくなら、その必要は豊かに満たされるのです。心から主を信頼しつつ喜びをもって礼拝をおささげしましょう。他のことに優先して聖別することです。礼拝を通して神との関わりを正され、確認し、御国への希望を新たに、再び世に遣わされていくのです。神を生活の中心に置きましょう。
第三に、神が明日を知っておられるからです。
明日の心配をしやすい私たちです。しかし明日を備え、知っておられるのは神ご自身です。ですから、私たちは最善の御手にお委ねしつつ、今日一日を主の栄光のために労苦するものでありましょう。今日の歩みが豊かに守り導かれますように祈ります。
<聖書のことば>
「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。 明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」
マタイの福音書6章34節
12月12日 さばいてはいけません マタイの福音書7章1~6節 牧師 小泉 崇
今朝の箇所で主は「さばいてはいけません」とお語りになります。善悪の見分けや判断が禁じられているわけではありません。神の基準御心から離れてさばきがなされてしまうことに問題があるのです。今日の私たちも無関係ではありません。では、なぜさばいてはいけないのでしょうか。
第一に、さばかれないためです。
すべての者は、やがて正しいさばき主の御前に立ちます。永遠のいのちに関わる厳粛なさばきの御座です。人の罪を指摘しさばく時、立ち止まって考えましょう。同じさばきが自分に返ってくるということを。自分に甘く、人には厳しくとならないよう注意しましょう。さばき主であられる神によって自分自身がさばかれないためです。
第二に、さばきの中から救い出された者だからです。
今年も神の御子イエス・キリストのご降誕を喜び感謝する季節を迎えています。尊い御子の十字架の死という贖いのゆえに、今は救われて「はっきり見えるように」していただいたのです。隣人の目のちりを見るよりもまず私の目の中の梁を取り除いていただきましょう。そして、神のさばきから救われ、赦された者として、恵みの主を見上げましょう。
第三に、互いに愛し合うことが求められているからです。
主の恵みにより罪赦された私たちに求められている御心は、互いに愛し合うことです。さばき合うことではなく、許し合うことが求められています。主の愛に生き、主の愛を実践する者でありましょう。さばき主の場に立っていないか注意しましょう。
<聖書のことば>
「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。」
マタイの福音書 7章1節
12月19日 クリスマスの喜び ルカの福音書2章8~20節 牧師 小泉 崇
2021年クリスマスを共に迎えることが許され感謝します。クリスマスは天地を創造された神ご自身が人として世に来られた史上最大の出来事を喜び感謝する時です。
第一に、喜びの知らせです。
救い主誕生の喜びの知らせは、野宿で羊の夜番をしていた羊飼いたちに知らされました。社会的身分は低く貧しい者であったかも知れません。しかし、彼らは純粋な心の持ち主でした。このようにクリスマスの喜びの第一報は告げ知らされたのです。
第二に、行って確かめたのです。
夜番をしていた羊飼いたちは、喜びの知らせを聞いてどうしたのでしょうか。彼らは立ち上がり、自ら行き、自らの目で確かめたのです。それにより喜びが自らのものとなります。彼らはクリスマスの喜びを経験したのです。
第三に、喜びに満ちた歩みです。
羊飼いたちの喜びを、私たちも得ることができます。キリストは私たちの罪のために人として生まれ、十字架と復活において贖いのみわざを成し遂げ、死に勝利されました。この喜びを感謝しつつ受け取りましょう。クリスマスの喜びをあなたに。
<聖書のことば>
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」
ルカの福音書2章11節
12月26日 恵みの上にさらに恵みを 詩篇103篇 牧師 小泉 崇
2021年最後の聖日を迎えています。この年を閉じるに当たり、私たちは次のことを覚えたいと願っています。
第一に、主の恵みを確認して感謝することです。
「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とあります。私たちは忘れやすい者です。多忙な日々の営みの中で、恵みに感謝することを忘れて通り過ぎてしまうのです。一年の終わりに、主の前に静まり恵みを思い返す時を持ちましょう。
第二に、主の赦しを覚えて感謝することです。
私自身の姿勢にも目を向けてみますと、もし主が「私たちの罪にしたがって…報いをされる」お方であったら、一体私はどうなっていたことでしょうか。悔い改めをもって主の十字架により全ての罪を赦されている事を感謝しましょう。
第三に、主を恐れてさらなる恵みを期待することです。
主の恵みは主を恐れる者の上に与えられます。新たな年、過ぎ行く年に与えられた恵みの上にさらに豊かな恵みを積み重ねていけますように。そのように、つくば教会と私たちの信仰生活が築き上げられますように祈ります。
<聖書のことば>
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
詩篇103篇2節