11月7日 主の祈り(3) マタイの福音書6章11~15節 牧師 小泉 崇
先週は「主の祈り」の前半から、神の御名が聖なるものとされ、御国の到来、御心が行われるようにと祈り求めることを学びました。祈りにおいて第一にすべきは、神ご自身に関することなのです。今朝は後半からです。
1.「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」
今朝主が教えてくださる祈りは、地上に生きる「私たち」の必要のための祈りです。神は、この世における私たちの様々な必要をご存じのお方です。かつて荒野を歩いたイスラエルの民が日々のマナをもって必要を満たされ、養われたように、私たちにも「日ごとの糧」が必要です。恵みによって生かされていることを知っている私たちは、主なる神により頼みつつ日々祈りましょう。
2.「私たちの負い目をお赦しください。…」
聖書は、すべての人は罪人であることを教えています。イエス・キリストの十字架により罪の赦しを受けているのです。私たちは自らの罪を認め、赦しの恵みにあずかっているでしょうか。赦された者であるからこそ、他者への赦しへと向かっていくことができます。困難な道ですが、祈りつつ歩みましょう。
3.「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。」
罪の世にあっては信仰の戦いが続きます。私たちは弱い者ですが、神は力あるお方であり、日々私たちを守り支え助けて下さるお方です。今週も主のみことばによって勝利をいただきましょう。神の愛から引き離す罪の力から守られるように祈りましょう。私たちには勝利者なる主がともにおられます。
<聖書のことば>
「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」
マタイの福音書6章11節
11月14日 子どものように ルカの福音書18章15~17節 牧師 小泉 崇
子ども祝福の一時を感謝します。今朝は「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」と言われた主のみことばから学びます。
第一に、みことばを慕い求めることです。
並行記事が他の福音書にも見られますが、ルカだけが「幼子」(乳児)と記しています。子どもたちは親の愛を必要とする存在であり、それは乳児であればなおさらのことです。彼らは何か必要があればひたすらに訴え、懸命に求め続けるのです。私たちも「生まれたばかりの乳飲み子」(Ⅰペテロ2:2)のように、主のみことばを慕い求めることが大切なのです。
第二に、主と主のみことばを信頼することです。
幼子は一人で生きていくことはできず、親の力に頼る他ありません。疑うことなく素直に全幅の信頼を寄せることができます。私たちも幼子のように、いついかなる時にも主がともにおられ、最善の御手をもって守り支えて下さることを疑うことなく信じましょう。主と主のみことばへの信頼が大切です。
第三に、神の国に招き入れられた子どもです。
主は罪人である私たちを、幼子たちを呼び寄せるように招いて下さいます。私のすべての罪を背負い、十字架にかかり死んで下さったのです。その愛により、子どものように神の国を受け入れる者とされたのです。今週も私たちは、天に国籍を持つ神の子どもとして、主を信頼しつつ歩み始めましょう。
<聖書のことば>
「まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者で なければ、決してそこに入ることはできません。」
ルカの福音書18章17節
11月21日 健やかな目 マタイの福音書6章16~24節 牧師 小泉 崇
マタイの福音書6章に戻ります。今朝は、天の御国を約束されている者が世にあっていかに生きるべきかを学びます。
第一に、地上にではなく、天に宝を蓄えることです。
永遠に続く天の御国と比べるならば地上における歩みは実に一時です。私たちは自らの宝を、やがては虫がつき、錆び、朽ち果ててしまう地上にではなく、朽ちることも失われる心配も全くない天に蓄えましょう。主にある喜びは永遠に失われることがないからです。私たちの宝はどこに積まれているでしょうか。
第二に、健やかな目をもって歩むことです。
天に宝を蓄えていくためには、健全な目、濁りのない澄んだ目が不可欠です。ただひたすらに一つのこと、すなわち主のみを見つめることです。神もまた富もという二心の目、即ち濁った目ではなく、主の御手のうちにある永遠のご計画とその御心を見つめる健やかな目を持ちましょう。そこから主の光が、からだ全体に差し込み、明るく照らし出されて歩むことができます。
第三に、主に忠実にお仕えすることです。
健やかな目をもって主を見つめつつ、仕えるしもべとして歩みましょう。富の力を私たちは侮ることはできません。そこには主から私を引き離すほどの力があるのです。私たちは自らの弱さを覚えつつ、健やかな目をもって主とその恵みを見つめ、富にではなく主に仕える忠実なしもべとして、天に宝を蓄える日々を歩みましょう
<聖書のことば>
「からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、目が悪ければ全身が暗くなります。ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、その闇はどれほどでしょうか。」
マタイの福音書6章22-23節
11月28日 正しい人は信仰によって生きる ハバクク2:4 林 宣教師
ゲスト説教者によるメッセージ
<聖書のことば>
「見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」
ハバクク書 2章4節