2021年4月


4月4日イースター礼拝 ともに歩まれる主 ルカの福音書 24章13~35節 次期牧師 小泉 崇

 イエス・キリストが復活されたことほどに不思議な出来事はありません。十字架において死なれ、墓に葬られ、約束通り三日目の朝に実現した主の復活は、驚くべき救いのみわざです。イースターの朝、エマオの途上での出来事から主の復活の恵みを確認しましょう。
 第一に、目がさえぎられていた弟子たちです。
 二人の弟子たちが、エマオという村に向かって歩いていました。そこに復活の主が近づきともに歩き始められますが、彼らの目はさえぎられており、主であることがわかりませんでした。彼らは、主を「力のある預言者」と語りますが、神の御子とは受け入れておらず、十字架の意味も復活の事実もまだ信じることができていなかったのです。
 第二に、目が開かれた弟子たちです。
 しかし、弟子たちの目は開かれました。主を信じる者は誰しも、このお方と出会い、目が開かれたのです。話を黙って聞いておられた主は、みことばの説き明かしを通して彼らを確信へと導かれたのです。目を開かれた弟子たちは語ります。「私たちの心は内で燃えていたではないか」と。素晴らしい主との交わりです。
 第三に、日々ともに歩まれる主です。
 主を信じ従う者の生涯は、復活の主とともに歩む人生です。主によって目を開かれた弟子たちは、大きな感動と同時に、確信をもって力強く新たな歩みへと一歩踏み出しています。今朝私たちは、ともに歩まれる主を覚え、みことばから確信をいただいて、新たな一歩を踏み出しましょう。

<聖書のことば>
「二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」
ルカの福音書 24章32節


4月11日 あなたの兄弟をえよ マタイの福音書18章15-20節 宣教牧師 山宮利忠

 共に集まるところに群れへの祝福がある事、賜を忠実に用いるところに、さらに豊かな祝福があり、主のお求めになるものは忠実であることを学びました。教会におけるもう一つの大切な課題は、兄弟姉妹との麗しい関係です。牧師と信徒、信徒と信徒の関係に主の祝福を頂ければ更に豊かな祝福を受けることになります。共に集まる事、忠実である事、赦し合う事をさせないように、サタンはこの三点を狙っています。聖徒の祝福の原点だからです。
 1.罪赦された者の間にも、争いや問題は起こります。(15)
 救われた聖徒であっても罪を犯さないわけではありません。コリントの教会には、分派、不品行、訴え合い、裁き合い等、この世にもないようなことが起こりました。それでも彼らは、聖徒と呼ばれています。それでよいわけではありません。しかし、それはあり得ることであり、解決すべきことなのです。
 2.信徒間に問題が起こったら、二人だけでまず解決すべきこと。(16)
 互いに忍耐できず赦せないことが起きたら二人だけで解決すべきで、他の人に訴えてはならず、そこに悔い改めが無ければ複数の証人と共に悔い改めを求め、それでも悔い改めが無ければ、交わりを絶つ処置がとられることが、教会としての問題の解決の仕方です。それは最終的な教会の処置となります。聖徒の集合体にたとえ多くの問題があっても、全てキリストの愛によってことを処理することが聖徒のなすべきことです。何故なら私達はすべて罪赦された者であり、キリストの赦しによってことを解決することが命令されているからです。悔い改めた者を赦すのは、7を70倍するまでと教えられています。故意に、かたくなに、悔い改めない者には、厳しい最後の処置がありますが、それも主の愛によってなされます。いかなることでも兄弟姉妹には変わりないからです

<聖書のことば>
「また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。」
マタイの福音書 18章15節


4月18日 終わりに備えて ペテロの手紙第二 3章1-7節 次期牧師 小泉 崇

 ペテロの手紙第二3章に入ります。ペテロは、まもなく地上を去る時が近づいていることを意識しながら、この手紙を書き送りました。
 第一に、みことばの内にとどまることです。
3章の冒頭で「愛する者たち」と呼びかけられています。ペテロの主に在る兄姉への愛は全く冷めることはありませんでした。地上で残された貴重な時間を、愛する者たちのために用いています。それは、彼らの「記憶を呼び覚まし」「純真な心を奮い立たせる」ためです。主のみことばには人を奮い立たせる力があります。それをいつも思い出し、心にとどめているなら安全です。主の御心にかなった正しい道を歩むことができます。
 第二に、初めがあり、終わりがあるのです。
 にせ教師について先に学びましたが、終わりの時、嘲(あざけ)る者が現れるとペテロは警告を発します。彼らは神を恐れず、自らの欲望に従い、「彼の来臨の約束はどこにあるのか」と、主の再臨を否定するのです。しかし神は、ノアの時代に水をもって介入されたように、次は火によるさばきをもって介入されるのです。この世には必ず終わりがやって来ます。
 第三に、主にある希望を告白し、互いに励まし合うことです。
 私たちの信仰生活を省みる時、喜びが失われ、希望をもって歩めなくなってしまうことがあります。サタンは絶えず働きかけてきますが、私たちは神に知られ、救われ、日々守り導かれているのです。主の愛の中に生かされている者として希望を告白しましょう。そして同じ主の教会に集う者として互いに覚え、励まし合いつつ、今週も歩み始めましょう。

<聖書のことば>
愛する者たち、私はすでに二通目となる手紙を、あなたがたに書いています。これらの手紙により、私はあなたがたの記憶を呼び覚まして、純真な心を奮い立たせたいのです。」
ペテロの手紙第二 3章1節


4月25日 待望の新天新地 ペテロの手紙第二 3章8-13節 次期牧師 小泉 崇

 この世界には終わりがあり、神のさばきの時が来ると先週の箇所で学びましたが、その時は遅れているのでしょうか。「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく」とペテロは語ります。今朝も先週に続いて終わりの日に関してです。
 第一に、主の忍耐です。
 主は「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」ゆえに「忍耐」しておられます。また「主の御前では、一日は千年のよう」であることを見落としてはいけないと記されています。神の「時」と私たちの「時」は一致しないことが多いものです。神は時を超越しておられる方であると同時に、今日もあなたの救いを願い、悔い改めを忍耐をもって待っておられることを覚え、主を伝えましょう。
 第二に、主の日の到来です。
 主の日は盗人のように突然やって来ます。「天」は大きな響きを立てて消え去り、「天の万象」は焼けて崩れ去り、「地と地にある働き」はなくなってしまう、この世界に存在するあらゆるものは、火によって焼かれてしまうということです。私たちの想像をはるかに超えた現実が主の日に起こることを覚えましょう。
 第三に、新天新地への希望です。
 まもなく主の日が来ることを考えれば、来たるべき新しい時代に向かい、ふさわしい歩みへと整えられていく必要があります。今週も過ぎ行く世にありながらも、やがて来たる新しい天と新しい地の住民として導き入れられる約束に目を向けて、その日を待ち望みつつ歩みましょう。

<聖書のことば>
「しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」
ペテロの手紙第二 3章13節