3月7日 確かなみことば ペテロの手紙第二 1章19-21節 次期牧師 小泉 崇
先回は、変貌山における「キリストの威光の目撃者」としての証言から学びました。今朝の箇所では「さらに確かな預言のみことば」について語られています。
第一に、暗い所を照らすともしびです。
「暗い所」とはこの世を指しているのでしょう。キリストは罪の闇に満ちた世に来られ、贖いの代価として、ご自分のいのちを与えて下さいました。主を信じ受け入れることにより、私たちは心に光を持つ者と変えられましたが、この世の中を歩む上で必要不可欠なものは「みことば」です。みことばに目を留めるならば、目的地を見失うことなく、希望をもって歩むことができます。
第二に、夜が明ける時まで続くのです。
このような歩みはいつまで続くのでしょうか。「夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは」と語られています。「明けの明星」とは主ご自身のことであり、やがて来たる主の再臨を指していると言えるのです。栄光に輝く主の再臨の訪れを待ち望む者でありましょう。
第三に、注意すべきことです。
私たちの救いのために「確かなみことば」である聖書が与えられています。聖書は誰でも自由に読むことができますが、本来の意図を無視して勝手な解釈をしてはなりません。それは聖書が「人間の意志によってもたらされたものではなく」「神の霊感」によって記されたものだからです。今週も聖霊の助けを求めつつ「確かなみことば」に向かい、教え励まされつつ歩みましょう。
<聖書のことば>
「また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。」
ペテロの手紙第二 1章19節
3月14日 良い忠実なしもべ マタイの福音書25章14-30節 宣教牧師 山宮利忠
終末にのぞむ聖徒の在り方として主は、思慮深さと忠実さを教えられました。タラントの譬えを通して私たちのこれからの生き方を学びましょう
1.私達には、それぞれ神から賜物が預けられています。
1タラントは、6000日分の給料に当たります。たとえそれぞれに与えられている賜物の秤は異なっていても、全ては主から、そして全ては主のものであり、人は何一つ神から与えられていないものはなく、忠実に主の為に管理することが求められています。
2. 私達に与えられた賜物は、忠実に用いることが求められています。
与えられた賜物を忠実に使って増やすには、良い忠実な僕とお褒めの言葉が与えられていますが、用いないで地に埋めていたものは、悪い怠惰なしもべだと叱られ、持っているものが奪われています。増やすより主人に不忠実であったことが叱られているわけです。主は、私達に与えられたものを忠実に主の御心に従って用いることを求めておいでです。
3. 私達が忠実である時主は豊かに報いて下さいます。
賜物の大小にかかわらず、主はやがて清算をするお方であり、忠実さがどれ程であったかによって報われます。 やがて主がおいでになった時に、「良い忠実なしもべ」と言われることこそ私達の最高の目標にしたいものです
<聖書のことば>
「主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」
マタイによる福音書25章23節
3月21日 見分ける目 ペテロの手紙第二 2章1-9節 次期牧師 小泉 崇
先回は、私たちの救いのために「確かなみことば」聖書が与えられている恵みから学びました。今朝の箇所では、キリスト者たちを惑わす偽教師について語られています。
第一に、偽教師たちの特徴です。
神の真理を正しく伝える真の教師がいる一方で「偽教師」が現れます。その特徴は、①「異端をひそかに持ち込む」②贖い主なる主を認めず従わない③放縦な生活④貪欲さのゆえ「うまくこしらえた話」で人々を食い物にする。以上が挙げられています。多くの場合彼らは教会の中から現れ、聖書を自分たちの都合良く解釈し、都合良く用いて人々を惑わすのです。
第二に、正しくない者たちへのさばきです。
このような者たちに対して「彼らに対するさばきは昔から怠りなく行われていて、彼らの滅びが遅くなることはありません」と語り、ペテロは続けて3つの例を挙げています。それは、①罪を犯した御使いたち②ノアの時代の洪水③ソドムとゴモラへのさばきです。異端を持ち込み惑わす者には、神のさばきが下されると警告が発せられているのです。
第三に、正しい者たちの救いです。
さばきの中から救われる敬虔な者たちについて語られています。その昔、「義を宣べ伝えたノアたち八人」は、滅びから救われました。また、ソドムに住んでいたロトも救われました。彼は人々の堕落した生活を見「心を痛めていた」のです。今週も、神からいただいている目~本物と偽物を見分ける目~と、神とともに喜び悲しむ心をもって歩み始めましょう。
<聖書のことば>
「主はこのようにされたのですから、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、正しくない者たちを処罰し、さばきの日まで閉じ込めておくことを、心得ておられるのです。」
ペテロの手紙第二 2章9節
3月28日 栄光へと続く道 ペテロの手紙第二 2章10-22節 次期牧師 小泉 崇
先回は、偽教師たち、即ちキリストに在る者たちを惑わし「滅びをもたらす異端をひそかに持ち込む」者たちについて学びました。
第一に、偽教師たちの特徴です。
先回に続き、今朝の箇所でも偽教師の特徴が書き記されています。
①傲慢で無知・・・自分より高い位にある者をそしります。
②昼間から飲み騒ぐことを好み、愛餐を汚している。
③性的不道徳・・・心は貪欲で鍛えられている。
④バラムの道・・・正しい道を捨て、貪欲で不義の報酬を愛する。
⑤実質がない・・・「水がない泉」「突風で吹き払われる霧」
第二に、主の恵みにとどまることです。
偽教師の働き~滅びをもたらす異端をひそかに持ち込む~に惑わされることのないよう、私たちは注意する必要があります。そのために主の恵みを日々覚えつつ、主と主の言葉に、お体なる教会に、しっかりとどまりましょう。かつて、自分ではどうすることもできない罪の泥沼から、主の恵みにより救い出された者であることを忘れないようにしましょう。
第三に、主により頼み、義の道を歩むことです。
主とともに歩む道は「義の道」です。主はその御力をもって私たちを正しく導いて下さいます。ですから「私の道」「私の人生」だと握りしめて離さないのではなく、信仰をもって「私の道」を主に委ね、主により頼んで歩みましょう。「義の道」の行きつく先は天の御国であり、私たちは新しいからだをいただき、主の栄光をあらわすのです。
<聖書のことば>
「義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうがよかったのです。」
ペテロ第二の手紙 2章21節