2020年12月


12月6日 冷たい寝床でわかったこと 創世記28章10~16節 牧師 長江 忠司

 ゲスト説教者(横浜聖書バプテスト教会牧師)によるメッセージ

<聖書のことば>
「ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。」
創世記 28章16節


12月13日 全会一致で・・・ 使徒の働き15章22~29節 宣教牧師 山宮 利忠

 キリストのお体なる教会は、極めてしっかりした組織体です。信仰は、個人のものですが、教会の一員としては、全体の一部ですので、全員で必要な事を決めなければなりません。初代教会がどのような決め方をしたか、私たちもそれに倣いましょう。
1.教会に重要な課題が生じました。(1)
 異邦人のアンテオケ教会に、旧約の律法を守らないと救われないと教えたユダヤ人信者がいて、異邦人にとっても、ユダヤ人にとっても大問題でした。激しい議論の後、使徒の居るエルサレム教会に、意見を求めてパウロ達が出かけます。当時はまだ新約聖書によって学ぶことが出来なかったからです。使徒たちこそが、主の教えを伝える器でした。
2.先ず、使徒たちと長老たちが集まって、検討しました。(6)
 教会の指導者達が、問題の解決の為に集まり検討し、問題を直接全会衆に示すようなことをせず、十分内容を検討した後に全教会に提案しています。それは、教会を混乱させ、サタンの付け入るスキを与えないためでもありました。教会には、検討された内容が示され、全会一致をもって決定されています。(22.25)
3.ここから学べることは何でしょう。
 教会に必要な決め事は、指導者達が十分に検討する必要があるということです。そこで得た内容が教会に示されて、その上で決議されます。執事の選出も、同様な手順で決められています。(使徒6:1~)そこに、主と教会を愛する者たちが、主のお体なる教会に混乱がないように、他を顧みながら愛をもって自分の意見を出し、一致を願って決議する信仰の証があります。そうすれば教会はさらに前進します。

<聖書のことば> 
そこで私たちは人を選び、私たちの愛するバルナバとパウロと一緒に、あなたがたのところに送ることを全会一致で決めました。
使徒の働き15章25節


12月20日 クリスマスの喜び ヨハネの福音書1章14~18節 次期牧師 小泉 崇

 今年もクリスマスの季節を迎えました。クリスマスは、私たちの主イエス・キリストがこの地上に来られたことを喜び感謝する時です。  第一に、キリストによって神が現されたのです。
「ことばは神であった」(1)と記されています。ことばであるキリストは、今も昔も永遠に存在し、すべてのものを造り、「人となって、私たちの間に住まわれた」のです。神はキリストを通してご自身を明らかに現わし、確かにまことの神がおられることを示して下さいました。
 第二に、キリストによって救いの恵みが実現したのです。
神であるお方が、なぜ人となって世に来られる必要があったのでしょうか。それは、罪と死の絶望的な現実の中にある私たちを救うため、赦しといのちを与えるためでした。かつて律法をご自分の民にお与えになった神は、律法を行うことによっては義とされなかった者たちに、さらなる恵みをもって信仰による義、神の子とされる道を用意して下さいました。キリストの十字架と復活により、それは実現へと至ったのです。
 第三に、キリストを見上げて歩むことです。
キリストは地上での生涯の中で「神を説き明かして」下さいました。私たちは今、キリストを通して神を見、また知ることができます。日々主と主の言葉によって強められ、力と励ましをいただいているでしょうか。私たちは滅びの中からいのちへと招き入れられたのです。「人となって、私たちの間に住まわれた」主を見上げ、再臨の主を待ち望みましょう。救い主誕生の知らせを聞いた羊飼いたちは、行って「捜し当て」、「神をあがめ、賛美」しました。私たちの心にもクリスマスの喜びが満ち溢れますように。

<聖書のことば>
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
ヨハネの福音書 1章14節


12月27日 わたしの羊を牧しなさい・・・ ヨハネによる福音書21章15~17節 宣教牧師 山宮 利忠

 伝道所は、教会になろうとしていますが、この時は、教会の歩みにとって極めて重要な時です。何故なら、指導者を自ら招き、自らの教会を自ら守らねばならないからです。その際最も重要なことは、指導者を招聘する時に、指導者の立場と、信徒の立場をはっきりと理解することです。
1. 牧師は、主によって立てられた器です。(15,16,17)
 主は、使徒たちに、わたしの羊を飼い、牧せと命じられました。牧師は、自らなろうとしてなったわけではなく、主の召しによります。この召しは変わることはありません。神が立てた器には、お言葉を教え、お言葉の命令を守る為の権威が与えられているわけです。
2. 牧師は、教会によって招かれた器です。 
 教会は、教会の指導を牧師に委ね、その働きと志を理解し、支え従うことが求められています。招いておいて従わないことがあるとしたら、そこに祝福は期待できないでしょう。何故なら主は教会の導きを、牧師を通してなさるからです。牧師のリーダーシップを妨げることは、教会の成長を妨げ、遅らせることになります。
3. 牧師は、教会の模範者です。
 牧師にも人としての欠点はありますが、牧師には最大の要求が主よりされています。この求めを完全に実行することは難しいのですが、少なくとも模範としての証を立てねばなりません。牧師と信徒の間に平和が保たれれば、教会は祝福を頂く事が出来ます。

<聖書のことば>
イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたは私を愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、私があなたを愛していることは、あなたがご存知です。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」 
ヨハネの福音書21章16節