2020年10月


10月4日 キリストを主として ペテロの手紙第一 3章13~17節 次期牧師 小泉 崇

  この世に生きるキリスト者は、祝福を受け継ぐ者として、神との平和を保ち、一つ思いをもって仕え、「悪に対して悪を返さず」、「逆に祝福」するという新たな歩みの中に招き入れられていることを学びました。さらにペテロの励ましは続きます。
 第一に、キリストのための苦しみです。
 ペテロは、「良いことに対して熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう」と語ります。ところが、初代教会のキリスト者たちに見られるように、義のために苦しみ迫害されることも実際あり得るのです。たとえそのような苦しみの中にあっても恐れることはありません。「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」(マタイ5:10) 主の慰めの御言葉を心に留めましょう。主の私たちへの約束は、この世のものによって奪われることはありません。
 第二に、キリストを主とし、聖なる方と信じることです。
 「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方」として信じお従いすべきです。私たちの主は、他のいかなるものとも区別されるお方であり、私たちはそのお方の子どもなのです。主を見つめ、主を見上げましょう。
 第三に、キリストを証しする者です。
 大切なもう一つの点は、恵みによって与えられている「希望」を告白し、説明を求める人には弁明することです。私たちの日々の生活の中には、動揺させられる出来事がしばしば起こります。そこで問われているのは信仰の姿勢です。私たちの信仰について、希望について、「柔和な心で、恐れつつ、健全な良心をもって」いつでも弁明できるよう備えたいものです。

聖書のことば
「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。」
ペテロの手紙第一 3章15節


10月11日 キリストを主として ペテロの手紙第一 3章18~22節 次期牧師 小泉 崇

 先週はこの世に生きるキリスト者として、苦しみの中に置かれても恐れることなく主を信じ、主にある希望を告白しつつ歩むことを学びました。今朝の箇所でペテロは、再び私達の模範である主ご自身を指し示します。
 第一に、身代わりの死による贖いです。
 「キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました…」と記されています。人として世に来られ「正しい方が正しくない者たちの」ために身代わりとして十字架の死を遂げてくださいました。それは、「肉においては死に渡され、霊においては生かされて、~神に導くため」です。私たちはキリストの贖いにより、罪を赦され神の子とされ、霊において生かされた者として、御国を目指す新しい道を歩む者とされたのです。
 第二に、信仰による救い、そしてバプテスマです。
 かつてノアの時代にも、救いの言葉は語られ「箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられた」のです。しかし人々は神に聞き従うことなく箱舟に入り救われた者はわずか8人のみでした。私たちは今、主を信じる告白として受けるバプテスマにより、主とともに葬られ、よみがえることを証しています。それは「健全な良心が神に対して行う誓約」なのです。
 第三に、栄光の主を見上げて歩むことです。
 十字架に死して葬られ、三日目によみがえられた主は、天に昇り、神の右に着座されました。栄光へと至る道にも苦しみの谷はあったのです。御国を受け継ぐ私たちの歩みにおいても同じことが言えますが、罪と死に勝利された主がともに歩まれるがゆえに、圧倒的な勝利者として歩み続けることができるのです。栄光の主を見上げつつ歩む一週間でありますように。

聖書のことば
「イエス・キリストは天に上り、神の右におられます。御使いたちも、もろもろの権威と権力も、この方に服従しているのです。」
ペテロの手紙第一 3章22節


10月18日 地上での残された時を ペテロの手紙第一 4章1~6節 次期牧師 小泉 崇

 先週は不当な苦しみを受けられた主の模範、恵みにより救われた私たちの信仰の在り方を学びました。今朝から4章に入ります。
 第一に、キリストと同じ心構えです。
 ペテロは「キリストは肉において苦しみをうけられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい」と勧めます。主は私たちの罪のために苦しみを受け、十字架において身代わりの死を遂げられました。キリストを主として歩む者は、キリスト者としての様々な戦いに備えていく必要があります。かつてその弱さのゆえに主の十字架の前から離れ去ってしまったペテロの「主と同じ心構えで」との勧めに耳を傾けましょう。
 第二に、神のみこころに生きるものです。
 当時のキリスト者と同様、私たちもまた、かつては神を知らず、神から遠く離れて自らの欲望のままに、罪の中を滅びへと向かって歩んでいたものです。しかし「地上での残された時を」歩むキリスト者の新しい生き方は「人間の欲望ではなく、神のみこころに生きる」ことなのです。罪の中を滅びに向かって歩むか、愛の神により救われて御国を目指し生きるか、それは天と地ほどの違いをもたらします。
 第三に、霊において生きるものです。
 人はやがて神のさばきの座において申し開きをしなければならないと聖書は教えています。それゆえ、人を恐れるのではなく、神を畏れつつ福音を宣べ伝えなければなりません。「今は恵みの時、救いの日」(Ⅱコリ6:1)だからです。救いのチャンスは生きている時だけなのです。今週も「罪に対して死んだ者、神に対して生きている者」として歩み始めましょう。

聖書のことば 
「それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。」
ペテロの手紙第一 4章2節


10月25日 終わりの時に備えて ペテロの手紙第一 4章7~11節 次期牧師 小泉 崇

 先週、私たちは地上での残された時をいかに生きるべきか、神のみこころに生き、困難の中にあってもなお恵みの福音をお伝えする必要を教えられました。
 第一に、心を整え身を慎むことです。
 聖書はこの天地万物には創造主なるお方によるはじまりがあり、また終わりがあることを教えています。キリスト者は「万物の終わり」が近づいていることを覚えつつ、心を整え身を慎む必要があります。世にあっては心乱されることが多く、誘惑もまた多いからです。しかし、その中でしっかりと目を覚まして祈りの生活を確立しなければなりません。
 第二に、互いに熱心に愛し合うことです。
 互いに愛し合うことに反対する人は少ないでしょう。キリスト者は愛が神から出ていることを知っています。即ち主の十字架の死にこそ比類なき神の愛が示されていることをです。この愛を受けているゆえに私たちもまた、神と人とを愛し、互いに赦し受け入れ、さらに心からのもてなしを通して、互いに熱心に愛し合う生涯へと招き入れられているのです。
 第三に、互いに仕え合うことです。
 続いてペテロは「神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい」と勧めます。神は一人ひとりに賜物を与え、いかに用いていくのか任せられているのです。「神のことばにふさわしく語り」、「神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕」することです。今週も、私ではなく主の栄光のために生きる者として歩み始めましょう。

聖書のことば
「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」 
ペテロの手紙第一 4章7節