8月2日 新しく生まれた者として ペテロの手紙第一 1章22~25節 次期牧師 小泉 崇
先週私たちは、神の御前に贖われた者として生きることを学びました。今朝は1章最後のお言葉から学びます。
第一に、真理に従う者です。
真理はいつも正しく、決して変わることのないものです。私たちは神のお言葉である聖書を通して「わたしは真理である」(ヨハネ14:6)と証しされるキリストを信じて従う者です。その結果、私たちのたましいは清められます。かつて神から離れていた自らの主義・主張、考え方、歩み方が、心の内側から清められて、主と主のお言葉に従いその御心を行いたいという思いが与えられるのです。さらに御霊の実である愛、偽りのない兄弟愛を抱くようになります。主を愛する者は、主に在る兄弟姉妹を愛するようになるのです。
第二に、互いに熱く愛し合う者です。
「互いに愛し合う」ことは主ご自身もお命じになられていることです。(ヨハネ13:34)ここでペテロは「きよい心で互いに熱く愛し合いなさい」と勧めています。私たちは主の十字架に示された神の愛を知り、その愛のうちに生きる者です。この最高の愛によって、心の内から神を愛し人をも愛する者へと、私たちはつくり変えられました。教会は目に見えない神を愛し、心から拝すると同時に、互いのために覚え、愛し合うことを通して、主の麗しい香りに満ちた集まりとなるのです。
第三に、新しく生まれた者です。
それは私たちが、「朽ちる種」からではなく「朽ちない種」、永遠に立つ神のお言葉によって新しく生まれた者であるからに他なりません。聖書を通して語られる神は今も生きて働いておられます。今週もまず神のお言葉を信頼し、お従いしつつ歩みましょう。死に勝利された主がともにいて助け導いてくださいます。
聖書のことば
「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。」
ペテロの手紙第一 1章22-23節
8月9日 みことばの味わい ペテロの手紙第一 2章1~3節 次期牧師 小泉 崇
先週私たちは、朽ちる種からではなく、朽ちない種、生ける「神のことば」によって新しく生まれた者であることを学びました。今朝は新生に続いて与えられる恵みの成長について学びます。
第一に、成長を阻むものを捨てることです。
今朝の箇所から、生ける神の恵みによって新しく生まれた者は、恵みによって成長するものであることが教えられます。成長のためにはまず、神のこどもとしてふさわしくないもの「すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口」を捨て去る必要があるのです。これらのリストは救われていてもなお陥りやすい大きな課題ではないでしょうか。これらは私たちの成長、交わりをも阻む要因となるものですから、固い決心をもって捨て去り、主の聖き器として御前に立たせていただきましょう。
第二に、みことばを慕い求めることです。
では、新しく生まれた者がその成長のために積極的に取り入れるものは何でしょうか。それは純粋な、霊の乳、即ち偽りのない真実な神のみことばです。神のことばには、私たちの成長のために必要なすべての栄養が含まれています。ですから、生まれたばかりの乳飲み子のように、日々ひたすらにみことばの乳を慕い求めましょう。そこに成長があり、さらには私たちの救いの完成があるのです。
第三に、みことばの恵みを味わいつつ歩むことです。
日々みことばを通して私たちは、いかに主がいつくしみ深く、恵み深いお方であるのかを味わい知ることができます。みことばのうちには、私たちの生涯を通して必要不可欠な恵みが泉のように湧き出ているのです。今週も感謝しつつ主の恵みを汲み取り味わいながら、主を信じ信頼して歩み始めたいものです。
聖書のことば
「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」
ペテロの手紙第一2章2節
8月16日 生ける石として ペテロの手紙第一 2章4~8節 次期牧師 小泉 崇
先週私たちは、主の恵みにより新しく生まれた者として、古い衣を脱ぎ捨てて新しい衣を着た者としてふさわしく整えられ、生まれたばかりの乳飲み子のようにみことばを求め、ともに味わいつつ歩むことを学びました。
第一に、捨てられた石です。
今朝の箇所には、私たちの主は「神には選ばれた、尊い生ける石」であると記されています。ペテロはこの生ける石なる「主のもとに来なさい」と勧めるのです。しかしこのお方は「人には捨てられた」石…家を建てる者たちが見て、役に立たない不適当な石と判断してはじき捨てた石でした。即ちこのお方を不当な裁判の結果罪に定め、十字架へと追いやってしまったのです。ここに、人の心の内に渦巻く罪の深さ、恐ろしさを覚えます。 ところが驚くべきことに、神はこの十字架の死を通して私たちの罪の赦し救いの道を開かれました。人の罪深い行為によって大いなる救いのみわざを行われたのです。人には捨てられた石が、生ける石、尊い要石とされました。今日も生ける石とされた主の十字架とそれに続く復活のうちに神の愛と救いの確かさが証しされているのです。
第三に、霊の家に築き上げられることです。
霊の家とは、生ける石として組み合わされた主のお体なる教会です。以前は神に背を向け歩んでいた私たちが、生ける石である主を通して罪赦され、新しく生まれ、教会の一員としてともに築き上げられていくのです。さらに「聖なる祭司」として大胆に神の御前に出て、自らを「霊のいけにえ」として献げる礼拝者となる特権が与えられました。主の恵みに感謝しつつ今週も歩み始めましょう。
聖書のことば
「あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。」
ペテロの手紙第一2章5節
8月23日 神の民として ペテロの手紙第一 2章9~10節 次期牧師 小泉 崇
先週私たちは、人に捨てられ十字架において死なれた主イエス・キリストは、生ける石、要の石であったことを学びました。さらに、主を信じる私たちも生ける石としてつなぎ合わされ、ともに築き上げられていくということでした。
第一に、神の民です。
旧約時代における神の民はイスラエルです。神は、壮大な救いのご計画のうちに敬虔な神の人アブラハムをお選びになりました。彼への祝福はその子孫、その民にとどまらず全世界へと及ぶ約束でした。しかし彼らは、神の声に聞き従うべき選民でありながら不信仰・不従順という罪の問題を抱えていたのです。そして新約時代における神の民の恵みと特権は、主の御名を信じるキリスト者たちに与えられているのです。
第二に、神の民の特権です。
ペテロは、神の民としての恵みの特権について「選ばれた種族」「王である祭司」「聖なる国民」「神のものとされた民」であると語ります。神の民である私たちは「世界の基が据えられる前から」選ばれており、全き信仰をもって真心から神に近づいて礼拝を捧げ、神に属する国民、高価で尊い神の民として、この世における尊い働きを委ねられているのです。
第三に、神の民の使命です。
恵みにより闇から光へ、新しい立場・特権の中へ招き入れられました。「驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を告げ知らせる」ことが私達の使命です。生ける望みを持つ民、御国を受け継ぐ神の子どもとして、主イエスの愛と救いのみわざを告げ知らせ、指し示す者として日々歩みたいものです。
聖書のことば
「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」
ペテロの手紙第一 2章9節
8月30日 立派なふるまい ペテロの手紙第一 2章11~12節 次期牧師 小泉 崇
先週私たちは神の民に与えられている恵みと特権を学び、「光の中に召してくださった方の栄誉を~告げ知らせる」という使命を担っていることを教えられました。今朝は日々の歩みにおける具体的な勧めから学びます。
第一に、内なる戦いです。
ペテロは今朝の箇所で、散らされた神の民がいかに歩むべきかを勧めています。はじめに「たましいに戦いを挑む肉の欲を避ける」ことです。世には肉の欲を刺激するものが満ちています。これらは、神との交わりや霊的成長を妨げるものです。肉の欲に支配されるのではなく、それを遠ざけ、神に近づくものでありましょう。この世における住まいは一時的な滞在地、通過点に過ぎません。私たちの住まい、国籍は天に備えられています。
第二に、立派なふるまいです。
次に勧められていることは「異邦人の中にあって立派にふるまう」ことです。世にあって私たちは、神を信じていない人々の中で生きています。いや神の民として「キリストに代わる使節」として遣わされ、尊い福音が委ねられているのです。主を信じて従う私たちの存在、言葉、そして「ふるまい」が期待されています。日々、主の御前に整えられて歩みましょう。
第三に、後の日の希望です。
当時もそして今も、キリスト者に対しては様々な誤解や偏見があります。実際に批判を受けることもあるでしょう。信仰が理解されない辛さ、苦しさを抱え続けて歩まなければならないこともあります。しかし主を信頼して歩み続けるならば、後の日に「神をあがめるようになる」のです。将来の素晴らしい約束を覚えつつ、最善の主を信頼し希望を抱きつつ、今週も歩み出したいものです。
聖書のことば
「異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。」 < class="character"> </>
ペテロの手紙第一 2章12節