2020年6月


6月7日(ライブ配信) 選ばれた人たちへ ペテロの手紙第一 1章1~2節 次期牧師 小泉 崇

 今朝よりペテロの手紙第一から学び、主のおことばの恵みにあずかりたいと願っています。
 第一に、変えられたペテロです。
 手紙の冒頭、自分のことを「イエス・キリストの使徒ペテロ」と紹介しています。ガリラヤ湖で漁師として身を立てていたペテロは、主から直接の召命を受け、弟子としてみそば近くを歩みました。失敗を通して自らの罪深さを知り、主の愛に包まれて立ち直り、十字架と復活の証人として生涯をささげ、最後まで使徒としての使命を全うしたのです。
 第二に、選ばれた人たちです。
 迫害が強まっていく中、キリスト者たちは困難な信仰の戦いの中に置かれていました。ペテロは「散って寄留している選ばれた人たち」と呼びかけます。この選びは、「父なる神」の予知のままになされ、「御霊」により聖別され、「キリスト」への従順と十字架の血によるきよめを与えるためのものであると言うのです。私たちは神に知られ、御霊により神のものとされ、親しい交わりの中に入れられていることを覚えましょう。
 第三に、天の故郷を目指す歩みです。
 ともすると、目の前の困難を恐れ、先行きの不安に心が曇り、様々な想定外の事柄に動揺しやすい者です。しかし私たちは、すべての事柄を想定内とするお方のうちにあり、最善のご計画のうちに導かれていることを忘れてはなりません。今週も天の故郷を目指して歩む旅人として、主の豊かな恵みと平安のうちに支えられて歩み始めたいものです。

聖書のことば
「父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ」
ペテロの手紙第一 1章2節


6月14日(ライブ配信)生ける望み ペテロの手紙第一 1章3~5節 次期牧師 小泉 崇

 先週からペテロの手紙第一を学び始めました。今朝は、神が私たちに与えてくださっている生ける望みについて学びます。
 第一に、生ける望みです。
 苦難と迫害の中で散らされていったキリスト者たちですが、ペテロは教会を慰め励まし、目を向けていくべき大切な事柄について記しています。はじめに「生ける望み」です。これは神ご自身の「大きなあわれみ」によるものであり、主の復活がその土台です。私たちは、主を信じる信仰により新しく生まれるという奇跡、新生の恵みにあずかることができたのです。
 第二に、天にある望みです。
 次に、神の恵みにより新しく生まれ、神の子どもとされた私たちは、天にある資産を受け継ぐという、確かな望みを持っています。それは、「朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産」です。私たちの国籍は天にあるのですから、その人生は、来たる天の御国への希望を起点としつつ、「今」を見つめるという歩みなのです。
 第三に、御力による守りです。
 人がもたらす望みではなく、神ご自身が与えてくださったこの望みは、苦難の中に置かれていたキリスト者たちを、そして主の教会をどれほど力づけたことでしょうか。地上における歩みには常に戦いがあります。恐れや不安~ヤコブが砂漠の中を孤独に歩むような状況~があるのです。しかし、生ける望み、永遠の資産に目を向けて歩む者には、たとえ困難な中であってもなお望みがあります。そこには神の御力による守りがあるからです。

聖書のことば
「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました」
ペテロの手紙第一 1章3節


6月21日 キリストの体を建て上げる為に エペソ人への手紙4章11~16節 宣教牧師 山宮利忠

 コロナ・ウィルスによる戦いは、無意味な事を何一つなさらない主のみ業である事を心に留めましょう。教会に対する勧めの中から、二つの事を学びます。
1. 三つの牧師の働きと務めが教えられています。(12)
(1) 聖徒を整える事。乱れたものを整えて、秩序あるものにすることです。又、キリストの体である教会に結ばれ、体の一部として働き役立つように聖徒を導く事です。
(2) 聖徒に奉仕の働きをさせる事。奉仕とは、主に仕える働きでありその第一は、礼拝で、更には、主に犠牲を捧げることができるように導く事です。
(3) 教会を建て上げる事。主がお立てになった牧師は、キリストの体である教会を建て上げる大切な務めを主から命じられています。
2.聖徒の三つの働きと務めが教えられています。(13)
(1)成長する事。 キリストによって新しく生まれた者は、霊の糧、神のお言葉である聖書により、成熟した大人に成長します。
(2) 目当ては、満ち満ちたキリストの身丈です。
(3) キリストの体も牧師の指導と聖徒の成長によって成長します。 伝道所は、今後教会として牧師を迎え、たくましく成長する事が期待さ れていることを覚えて、心を一つにして、前に向かって歩みましょう。

聖書のことば
「私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。」
エペソ4章13節


6月28日 栄えに満ちた喜び ペテロの手紙第一 1章6~9節 次期牧師 小泉 崇

 先回私たちは、主の復活のうちにある生ける望み、また天の資産の約束について学びました。今朝はその続きからです。
 第一に、試練の中にある喜びです。
私たちは日々あらゆる問題を抱えて歩む者ですが、当時のキリスト者たちもまた、迫害や数々の困難の中で散らされつつも、共に集まり続けていました。しかも彼らは、その状況下にあっても決して喜びを失ってはいなかったのです。むしろ生き生きとした喜びが伝わってきます。喜び得ない時になおも喜ぶことができる、主にある者の姿がここにあります。
 第二に、試練の中にある目的です。
 神の前に無意味な試練はありません。「金」が火を通して精錬されるように、私たちの信仰は試練を通して精錬されます。試練を通して真の信仰者として成長し、さらに深く主を知り、みそば近くを歩む者とされるのです。その先に待つものは、「賞賛と栄光と誉れ」です。パウロは「私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。」(Ⅱコリ4:17)と語っています。 彼らはその目で主を見ていなかったにもかかわらず、このお方を愛し、自らの救い主と信じていました。さらに「ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊って」いたのです。主を信じる者に与えられる「たましいの救い」は、いかに素晴らしい喜びを私たちにもたらすことでしょうか。今週も日々の歩みを通して、栄光の主を見上げ、主の喜びに生かされて歩み始めましょう。

聖書のことば
「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊っています。」 
ペテロの手紙第一 1章8節