2019年12月


12月1日 約束をとこしえに変えない主 詩篇105篇 宣教牧師 山宮利忠

 神は約束したことをとこしえに変えないお方です。ご自分を偽ることをなさらないからです。神はどのようにその約束を果たされたのでしょうか。
1.イスラエルの歴史を通して約束を果たされました。(3)
 人類の救いの舞台となった選民イスラエルの歴史を通して、神は約束を果たされました。その約束は、イスラエルの祖アブラハムへの約束です。アブラハムの名を大いなるものとし、その子孫を祝福し、その民を通して全ての民を祝福するという約束は、キリストによって実現しました。
2.神はその約束を救い主イエス・キリストによって果たされました。
 神は人類の堕落直後から救いの約束をなされ、神から離れ、己がままに生きて滅びにむかう全ての者の救いを、罪なきお方の身代わりの刑罰によって、赦しの宣言をして下さいました。その約束は、罪の赦しだけではなく、信じる者への多くの賜と共に、いかに神は人を愛してくださっているかをお言葉と、実行をもって約束してくださっています。その約束は、世の終わりに至るまで確実に実行されつつあります。
3.信じて救われた者の主への約束は、果たされる。(45)
 人は、真実な神の約束の下にあり、主は決して約束をたがえることのないお方ですが、私達信じた者の主への約束は果たされているでしょうか。信仰告白、悔い改め、献身、人との約束などが主にあって果たされているでしょうか。真実な主に、真実にお応えしたく思います。

聖書のことば
『 主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。お命じになったみことばは千代にも及ぶ。』
詩篇105篇8節


12月8日 どうしようもない者を赦す神 詩篇106篇 宣教牧師 山宮利忠

 第四巻の終わりで、民数記に対応します。過去の民の歩みを振り返りつつ、不信仰と不従順を繰り返す民を、なお赦す神の慈愛の深さが歌われています。
1.不信仰と不従順のリスト。(7~12)
 エジプトでの奴隷生活のうめきからの解放は、どんなに大きな喜びを与えた事か、奇跡の連続に、神の偉大な御力を体験したにもかかわらず、民は、脱出三日目には呟きが始まるのです。水がない食べる物がないということはまだしも、やがては指導者モーセにも反抗を繰り返し、約束の地に導かれた後も、神のお言葉に従うことがなかったのです。あきれ果てるばかりですが、この弱さを私達も持っている事を忘れてはなりません。
2.不信仰と不従順の民への神のお取り扱い。(44~45)
 確かに神は、怒られ、懲らしめられました。選民イスラエルの民を何とか清め正しくしようとされる神の愛の鞭である事を教えられます。キリストを通して神の子とされた私達も同様、不従順に対しては、懲らしめをもって臨まれます。どうしようもない、あきれ果てるばかりの民の有様ですが、それでも尚、民を憐れみ愛して赦す神の大きな愛と憐れみをここから学ぶことが出来ます。罪深い私達は、贖われ赦された後も尚かたくなにして、不信の罪がなくなったわけではありません。それでも尚赦す神こそが愛の神である事をしっかり心に留め、十字架を仰いで、また歩き始めましょう。

聖書のことば
「主は幾たびとなく彼らを救い出されたが、彼らは相計って、逆らい、自分たちの不義の中におぼれた。それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。」
詩篇106篇43~44節


12月15日 主は、彼らを苦しみから救われた 詩篇107篇 宣教牧師 山宮利忠

 第四巻の始まりで申命記に対応します。不信仰の民がその実によって苦しみ叫ぶときに、神は苦しみから救い、苦しむ者に希望を与える賛美です。
1.どのような苦しみの時でしょうか。(6,13,19,28)
 迷う時、捕えられて束縛された時、病の時、遠路旅をする時、人生の様々の苦しみの時に私達はどうするか。心の支えになるものがある人は幸いです。人生は、決して私達の思い通りにいかず、かえって苦しみの方が多いからです。
2.主に向かって叫ぶ時、神は救いをもたらしてくださいました。  
 人に叫んでも救いはやってきませんでした。全てを支配される主に叫ぶとき救いはやってきます。何故なら、主は信じる者に最善であって決してお見捨てにならないからです。しかし、叫ぶことが求められます。真剣に信じて、具体的に、しかも熱心に求めなければなりません。主に叫び求めるのです。私達は苦しみがないと主に向かって叫ばない弱さがあるのでしょうか。
3.神の助けは、遠大です。
 目の前の助けではないかもしれません。私達の過ちを教え、正しい道を示し、人生の指針を与え、やがては嵐を静め、安住の場を与え回復を与えて下さいます。信じる者にとって、苦しみと困難だけで終わらない真の幸せを見せてくださるのです。エジプト脱出、バビロニア解放、民は大きな助けを神から与えられました。嵐を静め望む港へ導かれる証をたくさん見せて下さったのです。一時の助けだけではなく、神の御計画は、遠大です。私達の将来に光を照らしてくださいます。このお方に叫ぶ資格を得ている人は、平安です。

聖書のことば
「この苦しみの時に、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。」
詩篇107篇6節


12月22日 不思議な誕生 イザヤ書9章6~7節 宣教牧師 山宮利忠

 長い人類の歴史の中で、イエス・キリストの誕生ほど不思議ものはありません。
1.イエス・キリストの誕生が何故不思議なのでしょうか。
 まず、予告された誕生でした。具体的には、誕生700年前のイザヤによる予告です。処女から、男の子が生まれ、やがて王となりその位は永遠であるというのです。さらに、誕生の地はベツレヘムであり、その名はイエスと告げられ、平和の君、力ある神と呼ばれると予告されました。不思議です。
2.イエス・キリストの誕生は、死ぬために生まれた不思議な誕生でした。
 神とその教えに背いて己が道を歩む罪人を赦す為に、死をもって身代わりの刑罰を受けるとなるために生まれました。私たちの内誰一人として死ぬために生まれる者はありませんし、罪人の為に死ぬ人もありません。やむを得ず誰しもが死ぬのです。しかしイエス様は、この世での神としての証を終えた後、敢然と死に向かって歩まれました。罪なき神の子が死をもって罪人を救うためにです。
3.イエス・キリストの誕生は信じる者に命を与える不思議な誕生でした。
 キリスト者となった者たちがこの世において生きて残した足跡は、キリストを救い主と信じ、新しく造りかえられた奇跡の生涯の証拠です。神が私達の為にいのちをお捨て下さる程愛してくださっている事を、キリストの生涯は、明らかに示し、その愛を知った者は、その愛に生きます。なんと不思議なことでしょうか。その名は不思議ともいわれたイエス様の誕生を心から祝うことのできる人は、この不思議を体験します。

聖書のことば
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。一人の男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は、不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれる。」
イザヤ書9章6節


12月29日 私は、ゆるぎません 詩篇108篇 宣教牧師 山宮利忠

 この詩篇は、二つの詩の合成と思われます。中心なるお言葉は、私は、ゆるぎません。ゆるがない詩篇の作者の信仰を学びましょう。
1. 勝利があったからです。(1)
 この時は、周囲には南北に強力な敵がいましたし、周囲にはいつも隙を伺う敵がいたのです。しかし神は、ダビデの信仰に働いて多くの敵に勝利を得ることが出来ました。私達の生活にも、強力な敵がいて、何時も目を覚まして主への信頼や忠実さを失わせようと狙っている敵がいることを忘れてはなりません。
2. 感謝があったからです。(3)
 ダビデは、神の恵みをしっかり受け止め、常に感謝することが出来ました。感謝は、賛美を生みます。賛美を心から捧げる者には、敵は簡単に近づくことは難しいのです。賛美の歌詞を自分のものとして、喜びをもって捧げる者は、暁を呼び覚ます明るさと希望をもたらします。
3. 聖所での礼拝によって力を頂いたからです。(7) 
 聖所は、現在では教会です。教会の聖壇から語られるメッセージは、信じる者に力と知恵と勇気を与え、真の悔い改めをもたらし、勝利をもたらします。揺るぎない信仰者は、キリストの体である教会にしっかり連なり、感謝と賛美をお捧げします。今年一年を振り返り、感謝を見つけましょう。そして主をほめたたえて新年を迎えましょう。

聖書のことば
「神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌をうたいましょう。」
詩篇108篇1節