2019年4月

2019年4月28日 「この民はここで生まれた」 詩篇87篇

 捕囚から解放された後の、コラの子たちの歌と思われます。旧約の時代には珍しい異邦人を含む一致が歌われています。シオンは、要害を意味し、現在では教会と解釈する事が出来ます。教会の一致を学びましょう。
1.全ての者がシオンで生まれました。(1,3~5節) 周辺の異邦の民も、シオンすなわち教会で生まれ神の民となります。いのちの書に名が記され、御国の民となったのです。キリストによる救いは、全ての民に提供され、救われた者は、ユダヤ人もギリシャ人もなく一つ体につながった者となりました。ここに民の一致の原点があり教会の一致の原点があります。これはこの世では与えることの出来ない一致の原点です。
2.一致の原点は、キリストによる愛と赦しにあります。(6節) 教会は、キリストの体であって、全ての器官がそれぞれ深いかかわりの中で体の 一致が保たれています。個々の私達が何を一致の源とするかと申しますとキリストによって新しく生まれたいのちの性格、すなわち愛と赦しによる一致によるものです。
3.教会はキリストの体としての一致が求められています。(2,7節) 主は、神御自身が三つの働きがありつつも一つであるように、私達も一つであるようにと祈っておられます。一致を乱すものは、肉的な我です。愛の欠如です。シオン即ち教会で生まれた事を忘れていることによります。私の一致への努力が、自分だけでなく主のお体全体の成長に深く関係がある事を確認しましょう。

聖書のことば
『しかし、シオンについては、こう言われる。「だれもかれもが、ここで生まれた」と。こうして、いと高き方ご自身がシオンを堅くお建てになる。』
詩篇87篇5節


2019年4月21日 「なぜ泣いているのですか」 ヨハネの福音書20章11~18節

 主の復活の朝は、新たな時代の幕開けでした。その朝に最も早く復活されたイエスにお会いした「史上最も美しい出会い」と言われる復活の朝の出来事から学びましょう。
1.この出会いは、堕落と栄光の出会いでした。マグダラのマリヤは、7つの悪霊に支配されていた女でキリストによって解放され。それ以来主と共に離れず行動を共にした女です。罪の大きさと赦しへの感謝は比例するようです。堕落と全く異なる栄光の出会いでした。
2.絶望と希望の出会いでした。マリヤは、墓に向かって泣いていました。これは多くの者たちが経験する悲しい光景です。人が墓に向かっている間は、希望はありません。主は、「なぜ泣いているのか」と死に対して泣く必要がないと言わんばかりに、親しく語られます。マリヤは、主のお声を聞きそこにキリストを見出した時、全く新しい人生がある事を知るのです。
3.古い人と新しい人との出会いでした。復活のキリストにお会いしてマリヤの生き方は新しく変わるのです。弟子も、主を否んだペテロも、反対者パウロも、それから後の彼らの人生は全く変わったのです。そして、マリヤが復活の主の証人となったように、復活のキリストを信じる時に私達は変わります。

聖書のことば
『なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。』
ヨハネによる福音書20章15節


2019年4月14日 「主よ。耳を傾けてください 」詩篇86篇

 「祈り」と表題のついた5つの歌の一つで、ダビデの祈りの詩篇です。祈りの模範として、この歌からダビデが常に主に祈って応えていただいた秘訣を学びましょう。
1.謙遜な祈りです。ありのままの自分を告白し、謙虚に自分が神のしもべである事を口に表し、熱心に信じて祈ります。形だけの祈りではありません。求め続けた祈りでした。
2.率直な祈りです。答えてください、「あわれんでください」「守ってください」「救ってください」と、今の自分の状態から率直に祈り願います。一日中、真剣に熱く祈っていることを証しします。更に「私を喜ばせてください」「道を教えてください」「自分は迷うものですから心を一つにして下さい」「慈しみの印を見せてください」と具体的に祈ります。答えていただかないと困る真剣な祈りです。
3.神なるお方を良く知っている祈りです。大いなる力あるお方、憐れみと慈しみに満ち、祈るものに必ずお応え下さるお方であることを知っています。主を良く知っています。
 私達の祈りは如何なるものでしょうか。ダビデは、祈りによって神の祝福を頂いた王でした。私達も祈りによって祝福を頂くことが出来ます。

聖書のことば
『主よ。あなたの耳を傾けて、私に答えてください。私は悩み、そして貧しいのです。』
詩篇86篇1節


2019年4月7日 「私たちを生き返らせてください」 詩篇85篇

 バビロニヤ捕囚から解放された神殿に仕えるコラの子の歌です。荒廃した故郷の復興に懸命になっていた彼らが、自分の生活の真の復興は、神との関係の復興である事に気が付いた歌です。
1.真の復興の原点は、罪と咎からの解放にある事に気づきます。(1~3節) 神との正しい関係なくして、真の繁栄はない事に気づき、バビロニヤからの解放に神の赦しは、私達の神に対する罪の告白と信仰による救いを感謝するところにこそ生活の繁栄がある事に気づくことが大切である事を教えられます。
2.更に、生き生きとした生活に戻してくださいと願っています。(4節) 郷里に帰って荒廃した自分の家や周囲を見て懸命に復興の為に励んでいるうちに、次第に霊的な満足感がなくなり、内なるものの疲労感が強くなり、信仰的な充実感が薄れてきた事に気づきます。生き生きとした自分に返る事を願っています。今自分達に何が大切なのか、それは神にあって生き生きとした生活ではないか。その宝を頂けるのは主キリストによります。
3.主は、良いものを下さる。(12節) あらゆる良いものは、上より下ります。(ヤコブ1:17) 地上の物は全て一時的ですが、主の下さるものは永遠に続きます。主キリストは、信じるものに永遠の命をたまわり、御国に入る資格を下さいます。そして、信じて救われ神の子とされたものを愛され、地のいかなるものもキリストの愛から離すことは出来ないのです。なんと素晴らしい宝でしょうか。この賜物を頂いたものは、将来に希望と平安をもって生きることができ 、これこそ真の繁栄なのです。

聖書のことば
『われらの救いの神よ。どうか、私たちを生き返らせ、私たちに対する御怒りをやめて下さい。』
詩篇85篇4節