2019年3月31日 「この罪を彼らに負わせないでください」 使徒の働き6章8~15節
殉教者ステパノの信仰から学びましょう。教会の大きな転換の時でした。
1.教会で評判の良いキリストの弟子でした。(6:3) 教会の必要によって選ばれたディヤコノス、すなわち後の執事で、当然評判の良い人でした。恵みと力に満ちた人とも言われています。キリストの思いに満たされた人と言って良いでしょう。教会での評判も信仰の証です。
2.信仰の確信を持った人でした。(7章) 旧約の歴史は、メシヤなるキリストに於いて実現したことを明確に信じ、イエスこそ待ち望んだメシヤである事を確信していました。キリスト教徒としてそんなに長い時間が経っていないにもかかわらず、ステパノは、自分の信仰を確立していた人と言えましょう。ですから大胆でした。自分の信仰を曲げませんでした。罪をはっきり指摘できたのです。
3.キリストに倣った人でした。(7:60) ステパノの祈りは、主の祈りよく似ています。真似をしているようです。正しくステパノは、主のなさった通りにしたのです。
彼の伝道は失敗したかのようですが、パウロの回心に大きな影響を与えたと思われます。まさしく一粒の麦でした。
真の弟子は、周囲に大きな影響を与えます。
私たちは、キリストの弟子として周囲にどのような影響を与えているでしょうか。証することによる迫害を恐れていないでしょうか。
聖書のことば
『そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。』
使徒の働き7章60節
2019年3月24日 「聖書信仰(バプテストの特徴のまとめ) 」テモテへの第二の手紙3章16節
週報を通してバプテスト教会が命を懸けて守ってきたいくつかの信仰の立場を挙げました。その根本となるものをまとめてみましょう。
1.聖書は、誤りのない唯一の神の言葉です。(第二ペテロ1:20:21) 過去に聖書に対する多くの立場が現われました。それらは、総じて聖書を人間的に解釈するものです。しかし、一字一句霊感された神の言葉と信じる事こそが聖書自体が求める聖書観です。
2.あらゆる誤りから守った力は霊感でした。(第二テモテ3:16) 1600年間に渡って、40名以上のあらゆる階層の人々が記した聖書の統一性と調和は世界に類を見ない書物です。そのテーマは、メシヤによる人類の救いです。内容、記録に於いてあらゆる誤りから守った力は神の息、すなわち霊感でした。
3.聖書は、信者の唯一の生活の規範です。私達の人生の基準は聖書に聞くことから始まります。主のお言葉として聞き、従う事こそ聖徒の務めです。世の教えもとても大切なものであってそれはそれでしっかり学ばねばなりません。しかし、霊の養いは神の言葉による以外に無い事をしっかり覚えましょう。
バプテスト教会は、長い歴史に渡ってこの聖書に対するはっきりとした立場を曲げることなくとり続けて来ました。そういう意味では、毎週の語られる説教はなんと意味ある事ではありませんか。
聖書のことば
『こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信の言葉を受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。』
テサロニケ人への第一の手紙2章13節
2019年3月17日 「衆議一決をもって(バプテストの特徴)」 コリント人への手紙 第二 8章1節
教会の運営方法には、最終的には一人の監督が決定する監督制、代表者の合議によって決める長老制、そして会員全員の合議による会衆制があります。バプテスト教会は、会衆制をもって教会の運営が行われてきました。
1.聖書は会衆制を教えます。(22,25節) 初代教会の決議の仕方が、異邦人教会での律法遵守の件で、エルサレム教会がどのように決議したかが貴重な記録として残されています。それによると最終的な決定は、教会全員で決議し、衆議一決と言う言葉で決議方法が残されています。難しい事案であったと思われますが、御霊による一致があって、教会は重要な決定を全員で行ったのです。
2.使徒たちや長老たちによる事前の討議がありました。(2,6節) 決議の仕方はまず使徒や長老たちによって十分に検討されました。初めから全員で重要議案を検討したのではなく、指導者、代表者達によって十分検討されたものが提案され、その上で会衆により最終決議がされた模様です。多分賛否だけが問われ、決議がされたということでしょう。サタンに付け入るスキを与えない賢明な秩序ある方法であったと思われます。
3.全員で決められたことは、実行されました。(30,31節) 会衆制での大切な点は、決められたことは全員で誠実に実行されることです。ここに会衆制の祝福された運営方法があります。即ち一致をもって教会が前進できるからです。たとえ反対者がいたとしても全員で決めた事には従うことが求められます。教会は主のお体ですから、一部が動かないということは、体全体の不具合となります。ここに聖徒の信仰の証しが示されます。
聖書のことば
『さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。』
コリント人への手紙第二 8章1節
2019年3月10日 「全身浸礼だけが唯一のバプテスマ(バプテストの特徴)」 使徒の働き8章38節
バプテスト教会は、その名の示すようにバプテスマは、全身浸礼だけが真のバプテスマである事を強調してきました。
1.バプテスマは、浸す〈バプティゾ―〉と言う意味以外に訳せません。聖書が浸礼と翻訳できずバプテスマと記すのは、滴礼でバプテスマを行う教会が多い事、水を垂らす方がはるかに簡単だからということもあるでしょう。しかしそれは聖書の教えるところではなく、人の都合によって勝手に変えられたもので、そのようにして誤りは教会に入り込みます。
2.聖書の実例は、浸礼を示唆します。マタイ3:13~使徒8:36~主がお受けになったバプテスマは、水の豊かなヨルダン川でした。「イエスはバプテスマを受けて水から上がられた」と記すのです。水を注ぐだけならどこででも出来るわけですが、敢えて多くの水のあるところで行われています。ピリポは、エチオピヤの役人(宦官)も同様に水のあるところでバプテスマを授けました。多くの水があるところでバプテスマは、行われたのです。
3.沈めの意味は、死と復活を意味します。(第一ペテロ3:21) キリストの死と復活を象徴的に表したものがバプテスマであり、信じたものが死して後甦ることの印がバプテスマの意味です。
形にこだわる必要はないという反対意見に対しては、形にこそ意味があるのがバプテスマだということが回答になります。
バプテスマは、救われた者が主のご命令によって受ける厳粛な定めで、結果として主のお体なる教会に加わることになる大切な式なのです。
聖書のことば
『そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。』
使徒の働き8章38節
2019年3月3日 「地方教会の独立(バプテスト教会の特徴)」 コリント人への第二の手紙8章1節
バプテスト教会は、中世カトリック教会の世界支配の中心であったローマ教会の一極支配の中で、各個教会の独立を強く主張してきました。勿論その根拠は聖書にありました。
1.初代教会の教会間の関わりは、各個教会の尊重でした。(使徒15章) 最初の教会であるヱルサレム教会では使徒たちによって迫害の中にも信徒の数が増し、ステパノの殉教を契機に起こった迫害にも関わらず、ユダヤ人以外にも福音が伝えられて異邦人教会が誕生しました。そこで当然のように起きた律法厳守の問題を解決するために開かれたエルサレム会議では、異邦人教会であるアンオケ教会を独立教会として認め、エルサレム教会は本部であるかのような権威を主張しなかったのです。その後パウロによって建設された教会も各地方にある独立した教会として記されています。
2.諸教会として。(ガラテヤ書8章1節他) 聖書は、教会を記す時には諸教会と記しています。これは、各地方に建設された教会が、独立した一つの教会である事を示しています。即ちローマにある教会、ピリピにある教会、コリントにある教会、そして横浜にある教会なのです。
3.独立教会とは。地域に現実にある、目に見える聖徒の集まりが教会ですから、目に見えない教会は、教会ではないことになります。全世界の救われた人たちの群れは、神の国の住人であって、宣教の使命を受け、バプテスマ、主の晩餐、礼拝をもって主を待つ教会は、地域にある自主、自立、自給の群れが地方教会で、団体組織を持たない群れが聖書的な教会です。バプテスト教会は、この立場を遵守します。
聖書のことば
『さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みをあなたがたに知らせようと思います。』
第2コリント8章1節